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20代正社員OL、職場が合わなくて「適応障害」と診断されました
正社員で4社目の会社に勤めてから2年が経過した時。
最初は、この会社で長く頑張っていこうと決意を持って入社した職場でしたが、この度「適応障害」の診断を受けました。
抑うつが著しく、この状態が続くとうつ病に発展してしまうので2ヶ月程度は仕事から離れることを推奨しますとお医者さんから告げられました。
なかなか気持ちの整理がつかず、更新頻度は低いものの空き時間にコツコツと続けていたブログにも意欲が湧かない日々が続いていたので更新から少しだけ離れていました。
今回はわたしがなぜ適応障害と診断されたのか、思い当たる経緯と今後どうするかを綴っていきたいと思います。
頭の整理も兼ねているのでちょっと日記っぽくなってしまうかと思います…。
見づらくて申し訳ありませんが、ご容赦ください…。
↑この時もきっと「適応障害」の症状が出ていたんだと思います。こちらもぜひ読んでみてください。
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適応障害はうつ病とは違う?
適応障害はうつ病と違って、特定の現象が起こった際にうつ病のような症状が発生します。
つまり原因が仕事であれば仕事以外は通常通り安定しており、仕事中など現象に直面していると身体面や精神面に影響がきます。
うつ病 ※薬がよく効く
・発症の引き金がないことが多い・ストレスから離れてもすぐには良くならない
・一旦うつ状態が始まると、楽しいことがあっても楽しめない
・病前性格は、執着気質であることが多い
適応障害 ※薬はあまり効かない
発症の引き金が必ずある・ストレスから離れるとすぐに良くなる
・うつ状態の最中でも、楽しいことがあると楽しめる
・特に目立つ病前性格はない
引用元:飯田橋メンタルクリニック「うつ病と適応障害の違いについて」
1日中抑うつ状態が続く場合は「うつ病」、特定の辛いと感じる症状が続いた時に抑うつ状態が発生する場合は「適応障害」と思ってもらって良いかな?と思います。
適応障害になった理由①責任が重い仕事に疲弊していた
まずわたしが適応障害になったと考えられる理由ですが、1つ目は「責任が重い仕事を任されるようになり、キャパオーバーしていた」ことかな、と思ってます。
ちょうど適応障害と診断される1ヶ月半前から、責任が重い仕事をいくつも任せていただけるようになりました。
別の作業もしつつ、複数の重い仕事もこなさないといけない状況になったんですね。
一つ判断を間違えると会社全体に影響が出てしまう業務だったので、常にプレッシャーを感じていました。
ただ結局は責任が重い仕事をたくさん任せてもらい、そこから付随した出来事があって適応障害になったのかなぁと思っているのですが…。
当時の自分には抱えきれない業務量だったのと、先輩上司も他の業務で忙しくしていたため相談しづらくて自分1人で抱え込んでしまっていた部分が少なからずあったと思っています。
あと、実は責任が重い仕事の中に、他社の取締役などお偉い人向けに作業工数と見積もり金額を提示するような業務がありました。
半営業のような感じの業務ですが、今までにそういった業務を経験したことがなく、かついきなり役員クラスの人にプレゼンしなくてはいけない環境に立たされたんですね。
上司もピリピリしていたので、それ以来は「失敗するわけにはいかない、失敗したら上司に怒られる。」という不安の毎日。
いつしか資料は「チェックする上司に怒られないにはどう作ったら良いのか」と完全に顧客目線を無視した資料を作る方に気持ちが向いてしまっていました。
相当余裕がなかったと今では思います。完全にキャパオーバーしてました…。
適応障害になった理由②上司からの八つ当たりが激しすぎた
これが1番の原因だと思っています。「人間関係」…うん…本当に辛かったですね。
①で重い仕事が複数任されている、とお話ししましたが、最終チェックをしていた上司にわたしは相当メンタルを削られました。
その上司は最初から苦手なので極力関わらないようにしていたのですが、やっぱり業務上関わらないといけない場面はありまして。
日々しんどいの積み重ねもあったのですが、特にしんどかったことがありました。
その出来事があって、病院行く引き金になったんですよね。
それはとある資料作成とメール配信を依頼された時のことでした。
全社員にメール配信するための資料とメールの文章をわたしがメインで作成する、というものでした。
心配性なわたしは資料に載せる内容をこれで問題ないか事前に確認取っていました。
そして上司からいただいたアドバイスを基に作成を進める旨をお伝えし、記録は部署内で使っている共有タスクツールに記入して準備を着々と進めました。
そして、いざ作成した資料を見せる時が来たので上司に資料を渡しました。
多少の修正は覚悟していたものの、返ってきた言葉は理不尽なことだらけ。
最初に方針を決めていたはずなのに、それを無視するかのような言葉が飛び交い、「量が多すぎて読みづらい!」やら「こんな資料じゃ誰も読まないよ!」などなど。
オンライン上で資料そのものを全否定されました…。
側から聞けばそこまで酷く落ち込むような内容?と思う人も多そうですが、感じ方は人それぞれ。
メンタルがやられていたわたしにとってはどれもトゲのある言葉を浴びせられているように感じました。
また、回数が増えるごとに言葉の集中攻撃を受けては、自分の人格そのものが否定されているかのように感じてしまいました。
泣きたい気持ちを堪えてその場は何とか凌いだものの、オンライン会議が終わった途端我慢していた涙が溢れ出し、止まりませんでした。
「なんでそんなに酷い言葉を堂々と言えるんだろう。」過呼吸のように泣きじゃくり「もうダメだ…」と呟いている自分がいました。
今までも心身辛くて泣くことはありましたが、もう耐えられない。
糸がプツっと切れたような瞬間。
普段であれば受け流せるようなことが、ストレスが過剰になって自分の中の器が溢れ出した感じ。
様子がおかしい。
これを機に、心療内科へ行く決意をしました。
人生初の心療内科へ 結果は
今までに一度も心療内科へ行ったことはありませんでした。まさか、自分も通う日が来るとは…。
この日の天気は土砂降りの雨。気分も下がる中、重い足取りで病院へ。
予約を取った病院は来院までにWeb問診票を記入しておく必要がありました。
前日仕事帰りの電車の中で問診票を記入しながら、今の自分に起こっている症状を記入。
診療してもらうことで、現状を少しでも良い方向に変えられたら…という想いで。
初の心療内科は、すれ違う人が皆若い人だったことに衝撃を受けました。(偶然かもしれませんが…)
見た感じ辛そうな人もいれば、そうでない人もいましたが…きっとわたしと同じように心身の悩みを持って来院しているんだなと思うとほんの少し緊張は和らぎました。
お医者さんは若めの物腰が柔らかそうな方。診察時はよく耳を傾けて親身に話を聞いてくれました。
そして、結果は「適応障害」とのことでした。
正直ネットで自分の症状を検索した時に「適応障害」というワードを見ていたので、もしかして?と思いつつ
いやいや、単純に自律神経が乱れているだけかも。
と言い聞かせる自分がいましたが、結局わたしはガッツリ適応障害だったみたいです。
特にショックは感じず、むしろ自分の身に起きている症状は心の病だったんだと思うと安心しました。
「原因が仕事にあるので会社から身を引いた方が良い」と。2ヶ月は休職してほしいとのことでした。
休職の相談はしていなかったので、一度身内や会社の人に相談してみると伝えると休職の証明書は特定の日付ではなく「提出日から2ヶ月は休職する」旨を記載すると言ってくれました。
休職することを考えて、一応発行してもらうようにお願いしました。(証明書は有料でした。)
診察が終わって病院を後にしましたが、まだ外は土砂降りの雨。
辺りはもう真っ暗になっていましたが、診察してもらったことでちょっとだけ気持ちは晴れていました。
ほんの少しだけ、一歩前に進めた気がしていました。
これからの仕事について
今回こうして適応障害の診断を受け、休職も推奨されたので今後の仕事はどうしようと1週間程度悩みました。
結果、休職して一度仕事から離れてみようと思います。会社にはどう伝えたのかは、また改めて投稿します。
今後休職を経て復職するか、他社へ転職するかはゆっくりと考えていきたいと思います。
適応障害ですぐにでも会社を辞めたい…そんなときは「退職代行」を利用するのもアリ。
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